
あることがあって以来、つくづく身体とは精密機械みたいだなと思う。
どこかがほんの少し壊れただけで、普段はなんなくやれることが、
たちまちやれなくなってしまうのだから。。
この間新聞に西城秀樹の記事が出ていたんだけど「脳梗塞から
復活して普通のことに感動する。水が冷たいって感じるのが
うれしい、歩けるのがうれしい」と書いてた。
本当に歩く、話す、食べるetc.なんて普段はなんの意識もなしに
やってるけど、考えたらすごいこと。
だからそれをありがたく噛みしめないとって思うんだけど、すぐに
ギターが上手く弾けないとかなんだかんだと贅沢な不満が浮かんでくる。
修行が足らんなあ。。
ところで話は飛びますが、本屋さんやCDショップで急にトイレに行きたく
なったことありませんか?私はよくあります。なんでだろうと思ってたら
誰かが書いてました。それって心がふわふわと身体から浮き上がって
行くのをガシッとつなぎ留めるためだって。
身体の存在が確かにあることを感じさせるため。なるほど。
それって例えば通勤途中でお腹が痛くなってトイレに駆け込もうと
必死になってる時、思考なんてどうでも良くなるのと似てる?
どんなに悩んでることがあったとしても、その瞬間はそんなことは
どうでもいいから早くトイレ!と1点集中。
これをわたしは『トイレ至上説』と呼んでるんですけど。。^^;
現代人は思考に走りがちだけど、やはり心身一体というのが望ましいですね。
☆写真はモンステラのモンちゃん。去年の冬にはかなり枯れてしまい、
年は越せないか?と思ったら猛暑でバリバリ元気になりました。